2009年2月15日日曜日

自己紹介  #7   ウオルト カーペンターさん







スイスカメラでの契約も終り
次は、ライツNYに行きました、履歴書を出したら、雇ってくれました、?
ウェッラ-ライカの直営店です、何をどうしてるか、が見たかった、、それだけです
最初は、教えてもらった通り、ノルマをの修理です、英語はまだまだ出来ません
車に乗って、毎日通勤です 途中いっしょに働いている、ダンをピッアップして、行くんです、ライカの修理はそうか、こうするのかぁ、、こんな道具を使うのかぁ、、?
2年程働かしてもらいました、、、?
ぼちぼち、思い出しながら、、エピソードとか、働いている仲間のことを書いていきます、、  

2009年2月12日木曜日

自己紹介 #6  ボブ、サマーズさん  
































































































ボブ、サマースさんの所へ行ったのは 2005年10月でした 遠いです、此処から800-900マイル有るはずです、これ書いているのは、2010・12・24日 クリスマスイブです 5年前かぁ、
元気かなぁ、、

スイスカメラ修理屋さんで永住権のスポンサーになってもらい 74年の秋にアメリカに住める、仕事が出来る、ビザを手に入れた、と言う事です、1年間で取れたと言う事です。。 取れた時、1年の束縛もくっいて来ました。。 日本から来た好青年から、アメリカに住む、? ‘‘‘ いつでもけつまくったるぞぉ、’’’
そういう気持ちを持つ、人間に代わりつつ有る、、火の粉が、降りかかってくる、、訳も判らん事が、、?
いっぱいあったなぁ、、アパートに2回も泥棒が入った事もあったなぁ、、?
一回目は、部屋にいてるのに、【トイレに入ってた】非常階段が有る窓から入って来たんです、、


自己紹介 #5 ボブ, テーラーさん
















































































ボブテーラさんの弟さんはレナードで竹の選別、焼きこみ、カット、ノードを抑えたり、
 ベブラーにセットし、下準備をされていました、今もボブテーラさんの作る竿は、彼が、
 グルーを付けるるまで、手伝っておられます

 74年度は永住権の申請を始めました 10月中頃には手に入っていました
 これがないと仕事もアメリカで住む事も出来ないと 言う事です
 カメラの修理と言う仕事は結構特殊技術だそうです、?
 誰でも彼でも出来るわけではないそうです、と、世間では言われています
 日本でも経験はしてますし、うそ偽りはないし、取れる条件は有ったんですが、、?
 高校時代、写真部顧問の橋本先生が神戸の領事館に知り合いが居られて、卒業証明書
 人物証明書、領事の推薦状、トランスファしてアメリカの赤いリボンが斜めに掛けてあり、
 アメリカ領事館の割り印と言うんですか、凹凸が入って、を、送って頂いたんです
 その時は、この書類が凄い物だとは認識できなかったんです、、が、、永住権も
 すんなり、問題なく取れるわけです、、ずいぶん後になってから、そういうのが、見えてくるように
 成りました、、橋本先生、ありがとうございました、
 アメリカでのカメラ修理のランク、見せてもらいました、、役13年掛かりました、、
 解ったら、これ以上やりたくないやぁ、、で、、止めました、、
 惜しいなぁ、、これから稼げるのにぃ、、という人もいてました、、、
 
 この年にポンコツキャンパーを京大医学部からペンシルバニア大学医学部に来られていた
 itada先生が作るから、、手伝え、、という事になって、毎週、金曜日夕方、バスか電車に
 乗ってフラデルファまで行きました、春から秋まで係り、シェイビバンー64年のオートマ と 
 66年のマニアルから使えるパーツを取って、 まず、概観の板金作業から、始まり、
 エンジンは64年、トランスミッションは66年のマニアルを、走るときは椅子に夜は広げて
 ベットに、、屋根に空気出口を、? 冬になりかけで動かす事ができました、、
 塗装はプライマーまで遣りましたが、寒くなっては乾かないという事で塗れていません
 外観はつや消しのグレイカラーです 中身は素人細工の大丈夫かなぁ、、です、、、?
 運転席と助手席の間にエンジンが有るんです、が、、うるさい、んです
 大声でしゃべらんと何を言ってるか、聞こえない、車自身もあっちこっちがたがた、で、
 確かクリスマス時分にオペラを見に行くから立ち見席を買っておいてくれ、と、
 奥さんを助手席に乗せて来られたんです、この助手席も、ペッタン子の座布団と背もたれ、
 64年の商用車です、それもポンコツ素人細工です、、奥さん、怒りましたっよ、、
 この車いやや、、って、、それで、僕にこの車、乗れって事になったんです
 1年ほど使いました、、面白かったです、、、 アメリカに来て始めての車でした、、?
 日本でもポンコツに馴染んでいましたから、、、この車の楽しい思い出、、いっぱいあるんです
 何が起こっても楽しかったんですねぇ、、?    怖さ、まったく無しでした、、???
 若さ、、というこでしねぇ、、  

itada 先生 は 76年頃に京都に帰られて、‘‘‘ 京大病院の副院長をしてるど、、””
手紙が来たなぁ 、、= 日本でなら、声もかけてもらえない人なんだろうなぁ、、、、
暫くして、‘‘‘‘ 俺はガンに掛かってるぞぉ、、’’’’ わからんなぁ、、?
紺屋の白袴、、 お医者さんがガンに掛かるのかなぁ、、で、、‘‘‘ 薬はのまんぞぉ、、’’’
と、来るんだから、、 = 副作用が有る、、、と言う事でした、、 何か、、わけのわからん、、?
細胞を、研究してるとか、、? は、、聞いていたんですが、、

日本に帰られる時、JBLのパラゴンスピーカを、持って帰られたなぁ、、 ターンテーブルは
トレー ンス124 を スピーカは壁に自作でした、時々、ジャズを聞かしてもらったなぁ、、、
プリアンプ、、パワーアンプは何を使っておられたんでしょう、、記憶は無いんです
天気が悪くって、車の修理が出来ない時は、ミュウジアムに行ったり、ア-ミッシュ夏のマーケット、 観光を兼ねてです、、先生のお友達の別荘に、行ったり、、? 色々、経験さしてもらったなぁ、、
ブルーフィッシュを釣りに行って、カツオを釣ったのも、先生といっしょ、だったなぁ、、、
その頃の写真、懐かしいです、、公表したいけど、、恥ずかしいんで、出来ません、、、、、


  kazu 2/15 2009 Sunday 4:20am
  

2009年2月10日火曜日

自己紹介 #4 と ペア、ブランディ-さん




























































ペアーブランヂィさんの仕事場です
 マークアノラーさんの所から、グリーンマウンテンの方向に20分くらいの所です
 昔はサーモンが上がって来た、Deerfield River に囲まれた1900年頃のビルヂィング、民家、が残っている
 良い雰囲気の小さな村です Shelburne Falls Village です = The 100 Best Small Art Towns America
 マークアノラーさんに進められて、この町に決めたそうです 
 
 74年のお正月、コダックの町 ロチェスターにグレイハンドバスに乗って行きました
 工場の見学は見てもしょうがないなぁ、の流れ作業で、フイルムのコンテナー、、、
 色+黒の蓋、プラスチィクで出来た分を抜き内検査、中にはひん曲がったのが有るんでしょうか、??
 食堂、カフェテリァに行き何か食べたなぁ、その時、内緒なんですが、??
 スープスプーン、ナイフ、フォークをお土産に貰ってきました、今でも使わしてもらっているんです、、
 これ、コレクションなんです、、
 イーストマンハウス、ミュージアムですねぇ、昼から行ったんですが、余りにも興味の有るのもが多くて
 次の日、昼に食べるサンドイッチを持って行きました、、その時、その年齢、見えるものが有ったんですねぇ
 0型ライカが有りました 25cmの距離にほんま物が有りました、さほど広くなかったんですが、、
 有意義な1日を過ごしました この辺は雪が多く帰りのバスは雪の中を75マイルでRt87を走ったなぁ、、
 これ、結構、感動しました、、雪がライトに照らされてフロントウインドウに飛んでくるんです、、
 

kazu 2/11 2009 Wednesday 11:40pm

自己紹介 #3 ローラスケートで注文を取りに来る ’50年スタイルレストラン





























 
  空気、水、歩いてる人、マンハッタンとは雲仙の違いが解るメイン州から帰ってスイスカメラ修理屋さんに  
  働きに行きました  エンパイヤステイツビルヂィングの東、31st を5aveから入ったところ辺です
  薄暗い、薄汚い映画にでも出てくるような、階段を2階に駆け上がれば、カウンターがあり、日本人の背丈から
  すれば、高過ぎる位置? = トイレも背伸びをしてでないと用を足せないのが多かったなぁ、、
  仕事机、広すぎるんだよ、椅子の高さ、重さ、大きさ、アメリカンを感じたなぁ、、40年代の蒸気機関車だよ
  卓上蛍光灯は重い土台がしっかり机にへばり着いてるなぁ、2つ折れのながーいアーム、上下回転、スイッチの
  位置が右左に180ド回転、そうか、この重さは必要だなぁ、、
  
 カメラ修理の内容はお粗末でした?
 大型レンズは殆ど8X10用でシャッタースピードの正確さは必要無しです=絞りf64を通り越して、
 とまる所まで使います(オーダウエイダウン)シンクが飛んで、B,T,オープン出来て、それで良し、
 最初の4-6ヵ月は無我夢中で修理したなぁ、、生活は何とか成ったようですねぇ、、何を食べてたんでしょう
 洗濯の思い出は? 白かった肌着の色は毎回色が付いてたなぁ? ジーンズと洗うとブルー色、黄色いスポーツ
 シャツといっしょなら、まんだらの黄色、スポーツシャツは色が取れて、これまたまんだら、ブリーチと石鹸粉
 を入れって書いてあるから、入れたらそうなるんだもんねぇ、、? 35年で出来るようになったのは、
 白い物の洗濯は白く、それも、真っ白を維持できる洗濯が出来る様になりました   

アメリカングラフチィの映画に出てくるレストランと同じスタイルです、車を止めて、待っていると、ローラスケートで、注文を取りに着てくれて、トレイに乗せて、もって来るんだよ、、、?
此処に車を止めるのは、’50年代に青春を送った、、今、、ヤングおじん と ヤングおばぁ-ん の カップル何だ、、、

  2/9 2009 10:23pm   

2009年1月30日金曜日

自己紹介 #2   ボブ、テーラさん





ニューヨークに来る前、日本ではカメラの修理をしてました プロ機材、ハッセル ライカ
ローライ、機械で動いてるカメラです 70年代のニューヨークは有名カメラマンの 物取り、ファッション、マグナム(ニューヨークタイムス)=報道ですねぇ、、
殆ど、此処でした、どんなカメラを使ってるんやろう、誰が、どの程度のレベルで修理をしているのかなぁ、そこへ入って行って、私のレベルは何処かなぁ、、を、見てみたかったんです
英語は全く出来ません、ニューヨークがアメリカの東海岸に有ると言う事も来てから、
地図を見てこんな所に来てるんだぁ、、今から思うと、はっきり馬鹿で無知で、若気の至りを
100倍掛けて、何も考え無しで切符を買って飛んで来たんです パスポート5年は持っていました、ビザは観光です 本に書いて有った、ツーウイーク?? を税関で言ったから、しっかり
2週間です それもお世話になった友達が、見つけてくれました、、、
ベトナム戦争が終わっ73年のニューヨークの汚さ=ゴミだらけ、治安の悪さ=最悪、ベトナム戦争帰りがビルヂィングのジャングルに住んでいるんです、パーチィ、映画館でも、道を歩いてても、草が煙に成った甘ったるーい、匂い、、しかし、、そう言う事は、横に置いといて、
辿り着いて3日目にレンターカーでメイン州まで、夜、走りました、真っ暗な周囲が見えない、何処を走ってるか、どんな所を通過してるか、夜明けに見える景色の綺麗かった事、、
紅葉です、赤い屋根白い壁の家、湖に反射してる紅葉、スコーンと真っ青な空、子供の時に
本で見た景色が目の前に、広がってるんです、、35年前の事ですが、今でも、目に浮かぶ景色です、、薄汚いマンハッタンからお伽の国、絵本の中に入って来た様な、感覚は体に焼き付いているんです、、綺麗かったなぁ、、??  LL ビーンの本店が有る フリーポート辺りだと、覆います、、

此の2−3年目から、面白く無いなぁ、、と思う事が有ります、、
大御所が作る竿なんですが?  何で、此処まで、高いんだぁ、、
クオリィチィが上がってる訳では無いのになぁ、、、
値段は上がってるなぁ、、、作れてないもんなぁ、、作ってないもんなぁ、

1/30 2009 fri 2:13am kazu  

2009年1月26日月曜日

自己紹介です #1 と  ロン、クシーさん 


1973年9月23日にJFKに到着してから今年で何年間暮らしたんでしょう 
フライフィッシングの竹竿、ビンテージリールの買い付けは
86年か87年頃からだったと思います
22−23年間に成って仕舞いました 92年頃からはkazflyfishingの名前でダイレクトメールを
配布しました 年に2−3回です この6−7年間は注文品だけを送っています

東部の大御所、ロンクシーさん、ボブテーラさん、カーペンターさん、マークアノラーさん、
ペアブランディさんは、200マイル以内です 時々遊びに行きます、時々ショーで会います
サマースさんは此処から800マイル位有ります 遠いです 4年前に遊びに行ったんですが、
1日半か借ります  レオナルド、ペインの工場後は日本から買い出しツアーで有名なウッドベリ−コモンアウトレットが有る少し北の方です 此処から一番近いです、約50マイルです
レオナルド工場後、竹置き場は残っています ペインの工場後は住居として残っています
以前写真を撮っていたらポリスが来たなぁ、何をしてるんじゃぁ、と、質問です、、
”説明して” 何事も無かったんですが、フライフィッシングに興味が無い人には此処が元、ペインの工場、汗、バーニッシュが床に染み込んでるとはしらんわなぁ、、お金があったら、買い取りたいです、半分ミュージアムにして住みたいです 近所にお墓も有るんです、いずれ写真をアップします、

こんな調子で、大御所さんの近況を写真と少しの文章で紹介して行きたいと思っています
末永く、よろしくお願いいたします    kazu   2009年1月26日1時26分夜中です